画像で見る聖書の歴史
資料編5
レニングラード写本
日本聖書協会 前総主事 佐藤邦宏

 このコラムでは、聖書の歴史資料、写本、翻訳等を、画像でお目にかけようと思います。それはわくわくするような世界です。さらに聖書を身近に感じていただいて、読みたいという意欲をお持ちいただきたいと願ってお届けいたします。
 なお、わたしは、これらの画像の内、68枚ほどを、オーバーヘッド プロジェクター(OHP)のフィルムにして、多数の方々にご覧いただけるようにしています。ご利用いただければ幸いです。なお、この文の最後にご案内を掲載いたしますので、よろしければご利用ください。

5 レニングラード写本 (最古のヘブライ語写本と考えられたいた)
 「ロシアのサンクトペテルスブルグ(旧レニングラード)の博物館には、1008年に書かれた「レニングラード写本」(L)が収められています。これにはヘブライ語聖書全部が含まれています。巻末の記録によると、アロン・ベン・モーセ・ベン・アシェルによる写本から写されたものとされています。ベン・アシェル本文として重要視されています。これらは、現在最もよい状態で保存されていて、マソラ本文(注1)を伝えています」。
 (佐藤邦宏著 バイブルロード《教文館》70ページ)
注1.
 2世紀初頭、民族滅亡の危機が迫る中、ヤブネにおいて、聖書の写本を作るルールが定められました。写本、つまり聖書を書き写す者は、モーセ ベン アシェルの家(ドイツでギルドと呼ばれる職業集団のようなもの)の者に限られ、正確に書き写す技術を幼少の頃から教え込まれたました。彼らは後に「マソラ学者」と呼ばれるようになり、写本を正確に書き写すのに加えて、ヘブライ語特有の子音文字に、母音記号を加えて、ヘブライの伝統の外にいる人たちにも、「ヘブライ語聖書」を読めるようにしていきました。
レニングラード写本  レニングラード写本は、ベン・アシェルの優れた写本だと歴史的評価を得ています。
 「レニングラード写本」が、ロシアのレニングラード博物館に保存されていたのは、前述の通りですが、1917(大正6)年のロシア革命で、ソビエト連邦政府が成立すると、「レニングラード写本」は、外国の研究者たちに閉ざされ、研究が一切できなくなりました。それが開放されたのは、1953(昭和28)年です。その後研究が進み、現在、世界の旧約聖書翻訳の底本となっているBHS(ビブリア ヘブライカ シュトットガルテンシア)1967年(改訂版 1977年)は、この「レニングラード写本」と、「死海写本」研究の成果が取り入れられたものです。BHSを底本として翻訳された「聖書 新共同訳」を手にすることができ、より間違いの少ないヘブライ語聖書に、わたしたちはより近づくことができるようになったと言えるでしょう。
 なお、この画面は、レニングラード写本のファクシミリ版によります。
 
 次回、10月25日頃の更新分で、「死海写本」のご案内をする予定です。

ご案内
 OHP化した資料のリスト差し上げます。メールで、添付資料としてお届けいたします。ただし、テキストは、Microsoft Wordです。これは、無償で贈呈させていただきます。メールでお申し付けください。また、OHP資料のご説明等も承ります。教会、学校の集会、研修会等にご利用いただければ幸いです。ご希望を承ります。
2001.Sep.25
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