Listen to the Bible
聖書に聴く11
説教-エマオへの道-
「佐藤くにひろの説教録」より (ルカによる福音書24章13〜35節)

29年牧師として教会の責任をお預かりしてきました。そこでなした礼拝説教の記録から時折「説教録」としてお届けさせていただきます。ご高覧いただければ幸いに存じます。
今年は4月11日がイースター、つまり主イエスが復活されたことを祝う日です。20年ほど前になしたものですが、復活日の説教の記録をお届けさせていただきます。主の祝福が豊にありますように。
日本聖書協会 前総主事 佐藤邦宏

 「この日」(13節)それは主イエスが復活された日でありました。主イエスの弟子たちや、主イエスの復活を最初に発見した女たちにとっては、とても長い1日であったと思われます。あの主イエスの体が、葬られた場所に見当たらない。自分たちが最も尊敬し頼りにしていたあの主イエスが十字架の上で殺されて3日目、その悲しみや興奮も消えないこの日に、又してもこの事件が起こりました。しかも、かねてから聞いていたことであるとは言え、復活したという、とても人間の経験や理性では考えられないことが起こりました。彼らの混乱と戸惑いはいかばかりであったでしょう。それはエマオへと歩き続けるこの二人の弟子たちの様子からでも伺い知ることができます。
 14〜15節彼らは語り合ってやみませんでした。いつのまにかイエスご自身が彼らと共に歩いておられ、イエスは質問されました。「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」。彼らの一人が応えます。18節「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存知なかったのですか。」と驚いて応えました。このことは、弟子たちは異常なばかりに、そのことにだけ関心があって、知らない人を思いやる心さえ失っていることを示しています。ましてそれがイエスご自身であったとも気付きませんでした。19節以下にイエスの質問に答えています。しかし、彼らは出来事の意味、内容、それが持っている重大さに気付くことができず、ただ出来事を並べただけの説明をしています。こう見てみると、二人のイエスの弟子たちは、まだ何も分かっていないようです。あるのは混乱とただ戸惑いだけだったようです。
 現代においても、復活に戸惑いを覚える人は少なくありません。復活を信ずるキリスト教会を、非合理だとあざ笑う人たちも少なくありません。キリスト者の中にも復活の問題を避けて通ろうという人も少なくないのです。この二人の弟子たちの姿は、まさにそのような現代人の戸惑いの姿ででもありました。
 神の子と信じていたナザレのイエスが死んだ。もしそうなら、死は神よりも強いものでありましょうか。もしそうであれば、いかなる正義も、真実も、あるいは富もそして愛も、死の前にはその力を失い、その色があせてしまいます。義しく生きることも、死ねば無になってしまい、積極的に生きることが意味を失ってしまいます。「神の子が死んだ」という彼らの戸惑いは、本当に深刻なものであったのです。ところが、15〜16節によると、いつのまにか主イエスご自身が近づいてきて一緒に歩き始められたというのです。彼らには分からなかったのです。彼らは知らなかったけれども、あとでこの時の経験を「わたしたちの心は燃えていたではないか(ルカ24:32)」と言っています。
 信頼するものを持たぬ、何を目標に生きるかも知らぬ時、心は燃えないものです。今の時代を考えてみましょう。しらけの時代など聞くと、まさに目標を持たぬ時代であることが分かります。「心は燃えていた」それも、あとで考えたらそうだったというのは、自分で工夫してみたらそうなったというのではありません。これこそ主イエスの方から、私たちに近づいてきてくださるという、私たちが全く受身に立たされるときに起こったのです。あなたがどのような人であるか、それに関係なくイエスはいつの間にか、あなたと共に歩いてくださいます。あなたが、少しも主イエスのことが分からないと思われてもよいのです。あの弟子たちですら少しも判っていなかったのです。エマオへの道、それは主イエスとの、出会いの道であります。今でも、教会でなされる説教は、その出会いの機会へと私たちを導いてくれるのです。
 このように、いつのまにか私たちの人生を共に歩いてくださるお方ですが、それがはっきり判り、私たちの心が燃えるという機会が二つあるというのです。第1は30節です。共に食卓についてパンを裂き与えて下さった時です。これはルカ福音書22章19節にあるように、まさしく聖餐式そのものです。私たちが、主イエスの体とその血であるパンとぶどう酒を聖餐式としていただくということは、いつのまにか私たちと共に歩いてくださる主イエスをはっきりと知り、身近に感じることができる大切な機会であります。この喜びをもって聖餐にあずかっていただきたいと思いますし、まだ聖餐を受けられない方も、早く洗礼を受けて、この大切な機会を早く自分のものにしていただきたいと思います。このパンを裂いてくださった時、彼らはその方がイエスだと分かったし、心が内に燃えたと感じました(24章32節)。これが彼らの主イエスとの出会いでした。
 教会では、このようにキリストの出来事を皆で一緒に受け止め、お互いの生きる力にしたいと願って集まり、イエス キリストの言葉を礼拝の中で共に聴き、お互いの力にしています。ぜひ多くの方に共に聞き、喜びをもって生き始める機会としたいと願っています。ぜひ、心が燃える機会を共に分かちあいたいものだと思います。2004年は、4月11日が復活の日です。ぜひキリスト教会で説教を聴き、交わりに参加しましょう。

佐藤邦宏 日本福音ルーテル教会 引退牧師、引退まで最後の12年間、財団法人日本聖書協会総主事を拝命する
 毎月25日に更新の予定です。ご高覧感謝いたします。
2004.Mar.25
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