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「私のヘブライ人への手紙」(みんなで燃えた教会の物語) -教会と若者 1- |
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「どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。」 (3章4節) |
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教会の役目の大切なものの一つに、人造りがある。もちろん、創造者は神のみであるけれども、その創造された人間をこの世において、継続的に育てるというのは、教会の重要な使命の一つである。イエスは、しばしば弟子たちに「教えよ」と命じ、イエスご自身が模範的な教育者であったことは論ずるまでもない。教会というところは、学校等の教育機関と違って、系統的に知識を授けるわけではない。また、教会の指導者たちが、学校の教師たちのように教育の専門家であるという訳でもない。 けれども、教会の中の人間関係というものは、利害を伴わないから、非常な自由さがある。その自由さが理想的に働くと、人間というものは、本当に楽しく成長するものである。このような例は、よい友人を持てると、人間の成長は豊かであるとか、よい師を得ることができれば、その成長ははかり知れないものがあるというようなことでもわかる。
先に述べたように、教会の人間関係には、利害関係が伴わないのだが、それが、いつも人間関係を利害関係の中においてしか考えられない世界で生きている者には、案外難しい面がある。特に、教会に集まる人が少ないような場合、ある人だけが特に何かと役目を担わなければならなくなって、時には思い上がったり、疲れてしまったりする恐れがないことはない。また、金銭的に割り切れないことが生じたりして、困ることもないとは言えない。 しかし、いろいろな職業の人が集まって、しかも、その職業の故に重んじられるとか、逆にないがしろにされるということもなく、あくまで神の前における一人の人間として扱われるということは貴重なことであるには違いない。それが、特に若い人たちに、一人の大人と直に触れる機会となって、どれほど豊かな内的成長に役立つかは計り知れない。今までに、多くの若い人たちが私の廻りから成長し、巣立っていった。その一人一人を思うとき、私は限りない誇りと喜びを憶えるのである。
1968年、昭和43年10月、鹿児島教会に学生寮「ナオミ寮」がオープンした。これは、先にご紹介した、身体障害者の作業施設の二階に開設したものである。寮室は二人部屋が4室、一人部屋が1室、それに共同の小さなダイニングキッチンがついている。 最初入寮した学生は、鹿児島大学の学生を中心に5名だったと思う。教会に出席していた学生たちが、下宿難で困っていた上、教会の教育的使命を組織的に果たそうというので、この寮開設の運びになったのである。 建築費を充分取ることができなかったので、部屋もけして広いとは言えない。一人部屋の方がよいという主張もあったが、教育寮という目的から二人部屋ということにした。机、椅子、ベッドはもちろん、寝具も全部備え付けにして、入寮時は、身の廻りのものだけ持ち込めばよいというようにして、入寮費を少し貰うことにした。 寮の目的は「クリスチャンリーダー」の養成ということにして、社会のどのようなところに出しても通用する人間を養成しようと、設立計画立案の折り、学生や教会の人と話し合った。自治を原則とするが、充分話し合うことということにし、教会と寮という相対立した環境は、最初からなかったのである。 学生たちと共に、「寮の憲法」を制定した。それは、次のようなものである。
ずいぶんユニークな憲法だと思われるであろう。これは、当時、鹿児島名物一家であったユースホステル経営の「古来家の憲法」にならったもので、学生たちは、楽しそうに実行していた。 (1)については後で述べるとして、(2)については、皆後を選んだ。次の年の4月、新入生歓迎と称して桜島の夜間歩行一周に出かけたのである。私が皆を車でフェリー乗り場まで送っていった。最終便のフェリーで桜島へ渡った彼らは、朝の船で帰ってきたのである。相当強行軍だったらしいが、助け合って皆元気に帰ってきた。結構、寮生の団結の力になったらしい。 (3)については、全員が楽器を選んだ。ギターが多かったが、フルートに挑戦したり、オカリーナを吹いたり、結構にぎやかなものであった。しかし、それ以来、クリスマスにしろ何にしろ、教会の行事には彼らの出演が欠かせないものになったのである。ちょうどフォークが、それも反戦フォークが多くの若者に歌われる頃だったので、彼らの活躍が、教会に多くの若者を集めることになったのである。私は楽器の演奏はできないが、器用にギターを弾いて、若者たちの歌の中心になれる人たちをうらやましく思うことがある。その時、寮の憲法に従って、一生懸命ギターをつま弾いていたことが、今も役に立っているかなとふと思ったりする。 (4)の運転免許の取得は、成功した学生もいたし、何度やっても駄目だったという学生もいる。これは個人差があるようだし、経費もかかることだから仕方のないことかもしれない。 (5)の英会話については、宣教師に頼んで特訓してもらった。このねらいは、技術として会話ができることもであるが、外国人に出会っても、物怖じしない人間になろうという素朴なねらいもある。日本人の外人コンプレックスの大部分は、やはり言葉に原因があるようだ。広い視野を持った人間になるには、どうしても意識の中から国境を取り除かねばならない。それには、やはり会話ができるというのは、最短コースであるようだ。 ご感想はこちらへ Kuni2sato@aol.com
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