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「私のヘブライ人への手紙」(みんなで燃えた教会の物語) -教会の成長 その1- |
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教会の成長とは何であろうか。教会員数、あるいは教会の経済力が増え、強くなれば教会は成長したというのだろうか。大方の牧師たちは、このことに異議をとなえる。しかし、私は、人間の限られた目にもはっきり見えるように、教会員が増えたり、経済力が強くならなければ教会の成長は現実にはないのではないかと思う。つまり、私たちにはっきりわからないとしても、教会の成長の結果は、数字となって現れてくる面もあるから、けして数字をおろそかにしてはいけないと思う。
ヘブライ人への手紙の著者にとって「この終わりの時代」には、キリスト・イエスご自身がおられた。私たちには「キリストのからだ」である教会がある。そしてキリストがもたらしたものは「和」である。神と人間の間が、本質的に「和解」する、そして人間同士が本当に平和になる、これがキリストによってもたらされた神の意志である。だから、教会には、「和」がなければならない。教会に見えるかたちで「和」が存在しなかったら、教会の「和解の福音の伝達者」としての存在意義はなくなってしまう。 教会の成長、あるいは個人の信仰の成長を考えるには、どれほど神と人、そして人と人の和を実現しているかを観察すればよい。「和」のあるところには人も集まり、自ずと聖書の言葉が力になり、喜びも大きくなり、かつ経済的にも力を得るのである。
1958年、昭和33年6月6日、私と妻が乗った列車「キリシマ号」は、雨の西鹿児島駅にすべり込んだ。3月に神学校を卒業し、4月下旬に結婚したばかりの私たちは、さぞかし緊張していたに違いない。 私たちは、九州に産まれ育ったのであるが、鹿児島は初めてである。教会の幹部たちは、いつまでも成長しない鹿児島教会をいささか持て余し気味であったようである。それで、あまりよい神学生でなかった私を、教会をつぶしてもともとという気で送ったのであろう。 駅頭に、数人の信徒の方々が出迎えてくださり、教会に到着した私の目に映った教会は、背丈ほど伸びた草の中に建つ、雨戸を閉め回した陰気な木造の仮礼拝堂の建物であった。 その上驚いたのは、最初の役員会である。同じ役員のKさんを、教会に来させないようにしてもらいたいという注文である。これが教会かと驚いてしまったが、何せ始めてのことであるので、その提案は聞くには聞いたが、無視することにした。 何から手をつけてよいか、若い私たちには思い余ることだったが、まず教会を美しくしようということで、草取りから始めた。梅雨、そして夏。会堂建設予定地は、片方から草を取り始めて、反対に至る時には、もう最初のところは草が伸び始めているという始末である。それでも、教会が美しくなってきたと近所の評判にはなったらしい。 草を取った後に、なすの苗を10本買ってきて植えた。10本一束で売っていたのである。それらは、たちまち大木?になった。私たちの背丈ほどになったのである。そして実がなることなること、二人では食べきれないので、近所や信徒の家に配ってあるくのが日課になった。結果的には、それが信徒の皆さんとの対話のきっかけになり、訪問も順調にできるようになったのだから、何が幸いするのかわからない。「なすびの花と、親の言葉、百に一つの無駄もない」ということわざがあるが、「なすびの花と聖書の言葉、百に一つの無駄もない」と、下手な冗談も幸いしたのである。 キリストは、創造者である神の言葉を伝達した。これは「ヘブライ人への手紙」の著者の主張である。私も、説教者として、神の意志を伝達するのが、教会の中での私の役目である。いずれ、詳しく述べるが、「神の意志」というのは、神がなぜこの世界、そしてわたしたちを創造されたか。つまり、このわたし、あなたの存在を必要とされたのか、その目的、その理由が、神ご自身が発せられる「神の言葉」により、わたしたちに伝わるのである。他の教会もそうだが、鹿児島教会は、鹿児島の人たちに、「神の意志」を伝達する場所として建てられているのである。それなのに、教会に集う人がいかにも少ない。前年の礼拝出席の平均は14名である。私も人間だから、少ない人の前で話すより、多くの人の前で話す方が張り合いがある。それで、人を集めようと思い立った。それには二つの方法をとったのである。一つは、10月から11月にかけて行った高校生のための特別伝道。毎週土曜日午後2時からに、4回行ったこの集会には、延べ116名の高校生の出席があった。このためには、すでに身重になっていた妻と、毎朝、いくつかの高校の正門前で、それは、正門から堂々とその高校に発言するという思い入れがあったのだが、登校する高校生たちに、2000枚のチラシを配ったのである。朝早いこともあって、教会の信徒の応援は、まだ少なかったのである。 毎週土曜午後、4回続けて集まると、続けて来る高校生たちは、いつのまにか習慣になるようで、それからは特に何もしなくても、土曜日の午後になると、高校生が何となく集まってくるようになったのである。
私は非常に幸いであった。前任者たちが蒔いた種を刈り取る時期に出くわしたのである。少々ぎくしゃくしたものはあったが、役員も信徒の皆さんも気持ちが若く、誤解も解けてしまえばさばさばしていた。そして人数が増えると共に、教会の中は、目に見えて和やかになっていったのである。 そうなると、私も説教者として張り切らざるを得ない。さて、人集めの第2弾は。当分の間、毎月25日頃、更新の予定です。
ぜひ、お近くのキリスト教会へ行って見ましょう。初めてであっても心配はご無用。歓迎されますよ。教会の表の掲示板で、礼拝やミサの時間を確かめましょう。日曜は、主の日、 多くの教会では、この日に礼拝、ミサが行われます。 ただ、教会は、その歴史と伝統によって、式次第や雰囲気が違う場合があります。自分の肌に合わないと思ったら、さらに別の教会にも、行ってみましょう。 教会は、あなたに献金や、参加を強要したりすることはありません。献金は自由意志です。目的に賛同できれば、ぜひ、ご協力ください。また、最初から言うのも変ですが、退会は自由、行くのを止めれば、それでよいのです。 しかし、せっかくのあなたのご決心ですから、しばらく続けて出席してみましょう。お困りのことがあれば、どうぞ、メールでお知らせください。ぜひ、教会へお出でください。 ご感想はこちらへ Kuni2sato@aol.com
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