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「私のヘブライ人への手紙」(みんなで燃えた教会の物語) -教会の成長 その2- |
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神の言葉、つまり神がこの世界を創り、それがどうあってもらいたいと願っておられるのかという神の意志を伝えるのが、いわゆる「説教」である。キリスト教が日本にもたらされてから、たとえば「礼拝」という言葉と並んで、当時よく知られていた仏教の用語をそのまま借用してしまった。もちろん、仏教のそれとは意味内容が違うのだけれど、仕方がない。古い皮袋に新しい酒を盛ろうというところに無理がある。 ある仏教学者の言葉によると、日本でキリスト教が伸びない理由の一つは、聖書の 「God」という言葉を「神」と訳したことであると言う。つまり、この時から、唯一絶対の神ではなく、日本人が古くから受け止めていた、さまざまな「神々」に新たに加わった「西洋からの新参者」としてしか受け止められないというのである。
話しがそれてしまった。「説教」という言葉も、「この生々しい世界のために、その意志を何とか実現しようとして、最も大切なものをさえ惜しまなかった神の出来事」でなく、人々が仏教に何となく感じる「まっこうくさい話」としてしか感じさせないようである。 キリスト教会の「説教」は、「神の意志」の伝達である。だから、いろいろなところに教会を建てるということは、「神の意志」の伝達の場所を、つまり説教台を設けるということになるのである。神が何を願ってこの世界を創造し、人を創造し、私を創造された。その目的は何であるか。神は、この私に、あなたに、何をさせようとしておられるのか。何を求め続けておられるのか。それを聞く機会が、教会の礼拝における説教である。クリスチャンになるということは、けしてまじめに生きられるようになろうとか、精神的に豊かになろうというものではない。「神の意志」それも、「神の創造の意志」を知って、それが我が身に実現することを願う、それがあればよい。 しかも、説教は、神の言葉を説教者が語る、つまり、説教者の人格、生きざまを通じて伝えるのである。私は、説教の時、聞く方の目を見て話す。「何かいいことがあったのだろう。目が輝いている」。あるいは、「何か辛いことがあったのだな。今週、神の力を受けてぜひ、乗り越えてもらいたい」など、一人一人に語りかけるようにお話しする。それだから、極めて人格的なこと、つまり説教を聞く者と、語る者の人間的な信頼、愛があるとき、説教は、「神の言葉」として生きて来るのである。だから、書かれた説教を読むのもよいが、ぜひ、教会堂で、生きた言葉としての説教を、皆と共に、それこそ互いに心を通わせながら聞きたいものである。説教する者の戦いは、いずれ、お知らせすることにしよう。 教会という建物は、そのための頂点であるとしても、その場所だけ留まるわけではない。言ってみれば、「神の意志」によって生きようとするクリスチャン一人一人は、いわば「説教台」を背負って、多くの方々の中で生きているようなもので、その人の日々の生きざまそのものを通じて、「神の意志」が廻りに伝わっていくのである。
さて、別の「説教台」に、たとえば放送がある。 昭和33年6月、私たちは鹿児島へ赴任したわけだが、その年の2月に、鹿児島の南日本放送から「ルーテルアワー」の放送が始まっていた。番組は、関屋五十二さんが作られる「この人を見よ」というドラマで、当時は相当高い聴取率であった。 着任して間もなく、この放送を聞いて「聖書通信講座」の申し込みをされた人々の名簿がどんどん送られて来るようになった。最初の間は、質問にもていねいに答えていたのだが、やがて量も増え、私も慣れてくるに従って何だか面倒になってきたのである。 それで、まとめて面倒をみようということで「月報」を発行することにした。めぼしい質問など、「月報」で答えよう、さらに、初めてお目にかかったり、お訪ねしたりした時、ちょっとした印刷物があればコミュニケーションにもよかろう、あまりに話題に苦労せずにすむだろうというような「なまけ心」が「月報」の始まりである。 第一号は、当時神学生だった黒松君にガリを切ってもらって、6ページ建て、昭和33年9月の創刊である。それから七年くらいは謄写版の手刷りでがんばることになる。始まってみれば、あとは続けることで、内容は力の限界があって、急にどうとなるわけでもない。とにかく「継続は力」などと、かっこよく今日(86年)まで、通算322号を重ねることができた。 「月報」をルーテルアワーの聴取者に送るわけである。昭和40年代に入ると、聴取者名簿も、鹿児島市内だけで千から千二百ほどになってしまった。一人の人に、二年間ひたすら送り続ける。だいたい20%くらいの人は何らかの機会に教会にやってくるのである。そして洗礼を受ける人もかなりある。封筒へは、宛名は手書きをするから、いつの間にか、相手を憶えてしまい、その人が礼拝にやってきて、名前だけ聞くと、「ああ、何とか町の何とかさんですね」と声をかけることができ、相手は驚くが、名前を覚えて貰ったのがうれしいようで、割合継続して来てくださる方が多かったように思う。 このことに関して、忘れ得ぬ思い出がある。ある日、熊本へ列車で行く途中、阿久根駅から、女子高校生が二人乗ってきて、私の前にある二人掛けの席に座った。やがて、一人が、カバンから封筒を取り出した。なんとなく見ていると、何と私が送った月報ではないか。彼女は、月報を取り出し、隣の友人に、その内容について何か話しかけている。二人で頷きながら、熱心に月報を間に置いて話し込んでいる。しばらくして、私は、我慢できず声をかけた。「もしかして、あなたは高尾野のOOさんではありませんか」。彼女はもちろんそうであり、驚いた。「私は、鹿児島の佐藤で、あなたが、手にしている月報は、私があなたに送ったのです。」突然のことだから、あまり彼女たちを驚かせてはいけないと思い、その後、軽い話題で、笑いを誘うような話しをした。それでも、日曜日には阿久根の教会に行ってみようということで、出水の手前の小さな駅で、二人は降りて行ったのである。毎月、封筒に名前を書く効用で、名前を覚えていたのである。これは、大切なことである。 さて、二年間ひたすら送り続けても、全く反応の無い人もいる。そのような人には、送るのを止めてみるのである。すると幾人かは「最近来なくなったけど」と問い合わせがくるから面白い。もちろん、そのような人には、また送り続けるのである。 ところが、この方法には地域差があるようだ。福岡で同じような方法をやってみたが、教会へ現れる人の数という点ではあまりうまくいかなかった。もっとも、放送の番組の性質にもよるようだが、それでも「月報」に一文を発表した青年が、大学の研究室で思いがけない先輩から「お前の文章読んだよ」などと言われ、びっくりしていた。 2000年の年賀状に、名前に覚えのが無い女性からのものがあった。私の著書を、三重県県立図書館に持って行ったら、すでに蔵書として置かれていたのだそうである。彼女は、もう24年ほども前、私が牧師だった箱崎教会に1度来られて、以来、例によって「箱崎教会月報」がしつこく送ってくる間に、私の文章に馴染んでしまい、私の「聖書 日々味合う最高の世界遺産」を、昨年書店で目に留め、読んだ後図書館の蔵書へとお届け下さったとのことであった。どこでどう繋がるのか不思議である。神様のなさることは面白い。 ラジオの電波はどこへでも届く。ルーテルアワーの聴取者には、いろいろな人がいて面白い。その人たちについては、いずれご紹介もしようが、そのために鹿児島教会の構成が、非常に幅が広くなったのは確かである。 かくて、「説教台」は電波に乗って各家庭にまで及ぶわけだが、それをうまくフォローする教会は少ない。もっとも、その業は、息の長い働きであるから、骨が折れるのはたしかである。また、一時に大金が要ることはないが、相当長い間、じっくりお金をかけてしなければならない面もあるので、教会全体としても根気が要る。 しかし、「神の意志」を語る、伝えるなどということは、恐ろしく根気の要ることであるようだ。もっとも簡単に獲得できるものには、それほど価値がないのかもしれない。やはり、「継続は力」である。
ぜひ、お近くのキリスト教会へ行って見ましょう。初めてであっても心配はご無用。歓迎されますよ。教会の表の掲示板で、礼拝やミサの時間を確かめましょう。日曜は、主の日、多くの教会では、この日に礼拝、ミサが行われます。 ただ、教会は、その歴史と伝統によって、式次第や雰囲気が違う場合があります。自分の肌に合わないと思ったら、さらに別の教会にも、行ってみましょう。 教会は、あなたに献金や、参加を強要したりすることはありません。献金は自由意志です。目的に賛同できれば、ぜひ、ご協力ください。また、最初から言うのも変ですが、退会は自由、行くのを止めれば、それでよいのです。でも、神さまが、あなたを愛しておられることは、忘れないでね。 しかし、せっかくのあなたのご決心ですから、しばらく続けて出席してみましょう。お困りのことがあれば、どうぞ、メールでお知らせください。ぜひ、教会へお出でください。 ご感想はこちらへ Kuni2sato@aol.com
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