聖書とトイレ

 
今回は、「心で聴く聖書の言葉」という訳にはまいりませんが、聖書の意外な一面をご紹介しましょう。聖書は、もちろん聖なる書であり、信仰の書です。しかし、その内容は、人間はもちろんのこと、すべての存在の基本に関わっています。「このようなことも、私たちが生きていくために聖書は語っているのか」と、ちょっと驚いて、さらに聖書に関心を持っていただきたいのです。
 
  トイレ、誰でも例外なしに、毎日数回はお世話になるところです。それがちゃんと聖書に書いてあるのです。まずは、聖書を読んでみましょう。 

 

 「あなたが敵に向かって陣をはるならば、注意して、すべての汚れから身を守らねばならない。(中略)陣営の外に一つの場所を設け、用を足すときは、そこに行きなさい。武器のほかに杭を用意し、外でかがむときには、それで穴を掘り、再びそれで排泄物を覆いなさい。あなたの神、主はあなたを救い、敵をあなたに渡すために、陣営の中を歩まれる。陣営は聖なるものである。主があなたの中に何か恥ずべきものをご覧になって、あなたから離れ去ることのないようにしなさい。」(申命記23章10―15節)
 
12節以下を英語の聖書で見てみましょう。
 「Set up a Place outside the camp to be used as a toilet area. And make sure that you have a small shovel in your equipment. When you go out to the toilet area, use the shovel to dig a hole. Then, after you relieve yourself, bury the waste in the hole. You must keep your camp clean of filthy and disgusting. The Lord is always present in your camp, ready to rescue you and give you victory over your enemies. But if he sees something disgusting in your camp, he may turn around and leave.
                           (Deuteronomy 23:12 to 14. By Contemporary English Version)

 
 
  これはもちろん戦場における指示として書かれています。ちなみに、日本の自衛隊には、戦場でのトイレについて、マニュアルがあるのかどうか、知り合いの新聞社の方を通して、自衛隊の広報に聞いてもらいましたら、特にそのようなマニュアルはないとのことです。ただ、最近婦人自衛官が増えてきたので、考える必要があるだろうとのことでした。
 戦場というのは、誰でも緊張の極みに達する場所でしょうし、それならトイレに何度も行きたくなるような場所のはずです。そして、そのためにかがんでいる時、兵士は最も弱点をさらけだすわけで、敵にねらわれ易いと思います。
 最近、ある方の著作を翻訳させていただいているのですが、その方はユダヤ人で、イスラエルの高官であった方です。旧約聖書には、イスラエルの文化、社会形成に、細かく貢献した面があるとのことです。たとえば、十戒にある「安息日」の規定は、それまで、国民はもちろん、奴隷を休息させるという概念は無かった社会に、休息の考えを持ち込んだというのです。休息によってかえって生産、そして仕事の能率が上がるようになった。聖書は、そのような社会のあらゆる面に、積極的な意味を気づかせてくれるものだと言われています。であればトイレについても、同じようなことが言えるのではないかと思います。もちろん、申命記が言っているのは、戦場におけるトイレですが、一般にも通用することです。
 ある教会の国際会議で、インドで、地域の衛生環境の改善に努めているインド人の医師に会ったことがあります。彼の話では、伝染病を始め、多くの病気は、トイレの改善で防ぐことができるというのです。家族に一つずつ穴を掘らせ、トイレの場所を確保して、皆でこれを使いうだけで、伝染病が防げるそうです。後で埋めて、パパイヤの木を植えると「汁の多いパパイヤができて、売り物にもなる」と言って笑っていました。
 穴を掘る、それは場所を特定する事でしょう。使用後埋める、それは病気を防ぎ、さらに戦場では、兵士の規模を知らせないための役にもたつでしょう。こうして、最も非衛生的になりやすい戦場から、病気をなくす、つまり衛生思想の普及にも役にたったはずです。さらに場所を特定し、穴を少し深くし、さらに小さい穴をその底に掘ることで、兵士の安全を守ることにもなったでしょう。
 神が歩き回られる戦場を清潔にするという思想は、もちろん、神が共にいてくださることを望み、信仰の戦いを戦う目的にかなうわけですが、兵士たちの帰還後、次第に社会全体に、衛生思想の普及、清潔に保つことの必要性の理解など、次第に民衆に広がっていったことと思われます。
 神に従う、神の歩かれるところを清潔にして神を尊ぶのは、もちろん最優先のことですが、これがイスラエルの日常生活を、衛生思想の普及と共にさらに安全に豊かにしていったことが想像されます。
 この聖書の言葉は、3000年ほども昔に書かれたところだと考えられます。聖書は、神と世界、特にわたしたち人間とのあいだの重要なことが、書かれているのですが、単に精神的、霊的なことに止まらず、聖書は人間の総てに関わりがあり、答えを秘めていることをお伝えしたいため、あえて「聖書とトイレ」をテーマにしてみました。

  これからも、ご一緒にいろいろな角度から、共に聖書を読んでまいりましょう。


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