ダビデ王と預言者ナタン

 「主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。 「二人の男がる町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った 一匹の雌の小羊のほかに何一つ持っていなかった。彼はその小羊を養い、小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて彼の皿から食べ、彼の椀から飲み、彼のふところで眠り、彼にとっては 娘のようだった。ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに自分の羊や牛を惜しみ、貧しい男の小羊を取り上げて、自分の客に振る舞った」 ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。…・」 ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう 言われる。「あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。……不足なら 何であれ加えたであろう。なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。」 ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」ナタンはダビデにその主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをし て主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」 (旧約聖書 サムエル記下 12章1節〜14節 中略含む) 日本聖書協会発行 「聖書 新共同訳」1990年版

 

 ダビデ王は、イスラエルを統一して、油注がれイスラエル王に即位しました。キリスト降誕前1003年のことです。そのダビデは、宮殿の屋上から、水を浴びている一人の女性に目をとめてしまいます。バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻でした。ダビデ王は、この女性を召し入れ、いわゆる不倫関係になってしまいます。バト・シェバは妊娠してしまいます。ダビデは、いささか慌てていろいろな手をうちますが、うまくいきません。やがてダビデ王は、戦士ウリヤを、最前線で戦わせ、彼を残して他は退却するよう命じ、ウリヤは戦死してしまいます。つまり夫を殺し、その妻を奪ったのです。(サムエル記下11章1節以下)
 
  このダビデ王に、命がけで神の怒り、叱責を伝えたのが、先に聖書の引用に出てくる預言者ナタンです。預言者というのは、けして未来を予言する不思議な、神がかりの人ではなく、文字通り、預言者、神の言葉を預かっている者です。 このナタンの、それこそ死をかけた王を諫めた言葉に、ダビデ王はすっかり打ちのめされ、後悔し、サムエル記下11章以下と、詩編51編に見るよう、心から悔い改め、自らの罪を認め、赦しを請います。神は、生まれてきた子が、生きることを許されませんでした。ダビデ王は苦しみ、懺悔の思いと、子供の命が助けられることを願って、食事も寝ることも拒んで、神に願い続けました。子供は亡くなりました。そのときのダビデの言葉も印象的ですが、聖書(サムエル記下12章)でご覧ください。
 
  神は、ダビデの心からの悔い改めを受け入れ、さらに強大な王してダビデを用いてくださいました。さらに、バトシェバとの間に、男の子が与えられました。その子が、後にソロモン王になります。また、イエス キリストも、その子孫として生まれられました。 人は誰でも、過ちを犯します。特に、組織の頂点に立つと、自ら知らない内に、重大な過ちを犯すことはけして少なくありません。故・山本七平さんが指摘されていますが、その時、ダビデ王に対する預言者ナタンのように、あなたに忠告してくれ、真実に生きる道を指し示し、共に祈ってくれ、立ち上がらせてくれる人を、あなたは身近に持っていますか。組織の頂点に立つと、おべっかを使う人たちは、廻りに増えていくものですが、本気であなたのことを考えて、忠告してくださる人は貴重です。そのような人を得て、あなたは悔い改めることができ、許されて、神と共に所期の働きを達成し、たくましく生きることができ、仕事や責任を全うすることができるのです。キリスト教会の教職、司祭や牧師は、元来、神の言葉を取り次ぐ者として、あなたの身近で、ナタンのような役割を果たすために生かされています。現代の預言者の役割を果たしているのです。身近に、神の真実のみ言葉を聞けるようにしましょう。悔い改めが許されることは、以後、神が、あなたの味方として共にいてくださることで、あなたはますます生きることに、家族、友人も共に、花を咲かせることができるのです。

 
 
次回は、「聖書とトイレ」を考えています。 引用の聖書は、「聖書 新共同訳」(日本聖書協会発行 1990年版)を用いています。指定の聖書の箇所は、ぜひ繰り返しお読みくださるようお願いいたします。


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