教会の役割とは?
Vol 1

-牧師の仕事 1-

 

 プロテスタント教会では「牧師」、あるいは「司祭」と呼び、カトリック教会では、「司祭」と呼ばれる立場の人たちがいます。それが職業と言ってしまえばそれまでですが、それがどのような役割を担うものであるのか、わたしの経験から少しばかり考えてみたいと思います。教会の伝統により、呼び名が変わりますが、この一連の文章ではそのすべてを便宜上「牧師」という呼称で全体を含んでいることをご了承ください。

 私も身分上は「牧師」で、教会の牧師を29年間務めました。その後12年間、?日本聖書協会で総主事として務めさせていただきましたが、身分の呼称は牧師でした。退職した今でもその呼称は変わりません。しかし、大切なことは、教会の牧師としてあると言うことが、牧師の牧師である所以であろうと思います。

 1.牧師の役割

 教会における牧師の役割というのは、@説教職 A祭司職 B牧会職の3点に集約されると体験的に考えています。

 @説教職というのは、神のみ言葉を取り次ぐ役目であり、神がご世に、各個人に何を望み、期待し求めていたもうか、聖書の言葉から解き明かす役目です。

 A祭司職は、常に人々のために祈り求める役目です。それは教会に集う人たちばかりだけの祈りではなく、この世のすべての人々のための祈りで、牧師の中には、朝夕に声を上げてこの祈りをする人も少なくありません。このような祈りの中から、社会福祉、教育、救済事業など教会の歴史の中で拡大していったことの原動力になっていると言っても過言ではありません。このような祈りの中で、この世の中を冷静にみつめ、必要なことに果敢に取り組む教会の姿勢は今でも変わらないのです。教会が伝道活動を行うのは、単に教会の勢力、会員増大が目的なのではなく、この教会の、特に祭司職としての祈りを伝え、すべての人が、生きる喜びと、人生の最後に「ああよかった」と言える日々を送っていただきたいと心から願う働きであるのです。

 B牧会職は、これらの祈りを、すでに教会に集い、信仰を明らかにしている人たちの日常をみつめ、そこに具体的に神の力が現されるよう、そしてそれを喜んで受け容れてくださるようお一人お一人のお手伝いをする役目です。

「神の霊があなたがたの内に宿っている限り、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。(中略)キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、霊は義によって命となっています」。

(ローマの信徒への手紙8章9-10節)

  牧会ということをドイツ語で、Seele Sorgeと言います。これは「霊(魂)を心配する」と訳されますが、神と向かい合っている人の霊について、その正しい成長、そしてキリストの命により生かされ続けているかを、信徒お一人お一人について常に配慮し、その方のために神に祈り心に留めるのが牧会職の主な内容です。

 日々陰で祈り心に留めることももちろんですが、その方の人生の節目毎に、共に祈り、必要なら忠告を行い、励ますことが大切です。そして最も大切な瞬間は、その方の死の床にできれば共に居て、日頃の信仰による死の意味を思い出していただき、心安らかに主のみ許に旅立たれるよう祈りを共にし、励ますことが、牧会職の最も大切な役割と言えると思います。

 牧師は、牧会職として、信徒の皆さんに信頼されるものでなければなりません。その信頼は、けしてちやほやすることで培養されるものではありません。日頃、説教職として忠実に、誠実に神のみ言葉を取り次ぐ役目をおろそかにしてはなりません。また、祭司職として祈りを心からなすものである必要があります。そして、牧会職として、訪問に心がけ、信徒の皆さんの日頃の心の状況、生活の場にまで、心を配り、教会やその他での会話の一つ一つにもその背後に含まれている悩み、意味まで含めて聞き取らなければなりません。

2、アメリカの教会での経験

 わたしは、1965(昭和40)年アメリカへ8ヶ月の短期研修へ参りました。最初の3ヶ月は神学校で学び、次の3ヶ月は、ネブラスカ州オマハにある大きな教会で、2人の牧師に加わり、3人目の牧師として牧会職としての経験をさせていただきました。最後の2ヶ月は、アメリカ南東部の6州に散在する教会で、毎週説教者として招かれ、よい経験をさせていただきました。

 このエクスチェンジプログラム(交換牧師制)というのは、外国の教会の現場で、実地研修させようというルーテル教会世界連盟のプログラムで、応募した論文が認められてこのような機会が与えられたものです。牧師就任後7年目の経験でしたが、自らの働きと、日本の教会の在り方を再確認するというよい機会ででもありました。ただ、家族を連れて参加することができず、家族にはずいぶん精神的にも負担をかけてしまいました。しかし、留守にした教会の支持を受けて参加することができたのは心から感謝しています。

 オマハにあるクンツメモリアル ルーテル教会は、この教会に登録されている信徒が2800人という大きな教会で、2人の専任牧師と3人の事務職員がいます。礼拝は、日曜午前中に2回行われます。わたしは聖書朗読を担当しました。教会に隣接してテレビ局があり、日曜礼拝の2番目の礼拝に、テレビ局からケーブルを引いてきて、テレビカメラを一台会衆席の後ろに設置して、礼拝をそのままテレビ放送するのです。町を歩いていると、時々「TVパスター」と声をかけられることがありびっくりしました。

 この教会は、多くの信徒がおられるにもかかわらず、実は、そのほとんどの人の個人的なことも含めて記録がきちんと整理され、信徒に何が起こってもすぐ対応できるシステムが出来上がっていました。ウイークデーのわたしの仕事は、午前中は自分の仕事や勉強をいたします。午後は、パーリッシュワーカーと呼ばれる牧師秘書であり、事務局長であるアルマが、午前中にタイプした訪問カードを数枚手渡してくれます。それには、その日わたしが訪問すべき相手の住所、氏名、年令等のデータはもちろん、その人が今どのような状態にあるのか、問題があればそれは何なのか、そして前回は誰が訪問したか、その日時は勿論、その際の会話のあらまし、残されている問題などが書かれています。わたしはそのカードを頼りに、その人を訪問するのです。訪問には、教会員の方が、ボランティアとして自動車を運転し、半日行動を共にしてくださるのです。

 2人の専任牧師は、毎日10数枚のカードを受け取って出かけていました。時には夜遅くなることもあるのだそうでした。カードに従って、お宅まで伺い、話をしながら、カードにある問題点がその後どうなったのかそれとなく聞き出していくのです。わたしが、日本から来たということで、結構話しも弾みましたし、わたしにもアメリカの人たちの生活の場で、気軽にいろいろお話を伺うことができ、わたし自身にとって大変な収穫だったと感謝しています。

 夕方教会に戻ると、カードの裏に、その日の訪問で得た情報を書いておくのです。翌朝、アルマに返すと、彼女は、それを一人一人の信徒の情報ファイルにタイプし、また新しい訪問先のカードを作ってくれるという具合でした。パソコンもない時代でしたので、すべて手作業でした。ある複数の訪問先で聞かされたのは、自分たちのことを、教会できちんと掴んでいてくださるので、とても安心であるということでした。もちろん、これらのデータの秘密が、完全に守られていることは言うまでもありません。わたしは、ただ、教会の訪問の凄さ、その素晴らしさ、そして信徒の皆さんの信頼と喜びの言葉の数々に圧倒される思いでした。本当に言葉に言えないほどの経験をさせていただきました。

 このような信徒との心の交流、信頼が、牧師の説教職としての働き、そして祭司としての祈りを命と実りあるものにしているのです。この経験を受けて、わたしの働きがどう変わっていったか、次回お届けいたします。


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