新約聖書-日本語への翻訳の完成した日-
 
我が国が、長い鎖国の時代を終え、開国したのは、1859(安政6)年のことで、6月に、神奈川、長崎、函館を開港しました。10月18日には、J.C.ヘボンが神奈川に上陸し、成仏寺に同22日より住むことになりました。その後、間もなくヘボンは、和英辞典を作り始めます。ヘボンは、上海からの船の中で、「これはなんですか」という日本語を覚えました。落ち着くと間もなく、夫人と町を歩いて、通りがかりの人を呼び止めては、「これはなんですか」と聞いてまわり、メモを取ったたようです。これが、ヘボン式ローマ字の始まりと言っても過言ではないと思います。来日して8年目の1867年、「和英語林集成」という和英辞典を、日本に活字印刷の工場が無かったため、上海の宣教団体の印刷工場で印刷、出版しました。初版には、20、772の単語、それに2186の用例が収められていたと言いますから、本格的な辞書と言えます。

 ヘボンにしてみれば、辞書作成は、聖書を日本語に翻訳するための準備であったのです。それでも、この辞書は、外国人に喜ばれただけでなく、幕府も、まとめて買い求めたと伝えられています。
 
  ヘボンは、共に来日したブラウンたちと、早速、聖書を日本語へ翻訳する作業にかかります。1872(明治5)年、マルコ、ヨハネ各福音書を翻訳し、木版木刷りで出版しました。その版木は、前年に出版したゴーブルのマタイ福音書の版木と共に、銀座の日本聖書協会の聖書図書館で見ることができます。それから、まず、新約聖書の翻訳が、始まっていきました。キリシタン禁制の高札の撤去が、明治6年であることを考えると、大変な攘夷の雰囲気の時代に、ヘボン夫妻は、町を歩き回って、日本語の単語を収集し、福音書の翻訳を始めたことになります。

  その後、いろいろな経緯もあるのですが、アメリカ聖書協会の記録に、次のようなものがありますので、ご紹介いたしましょう。

  「新約聖書の翻訳は、1879(明治12)年12月2日、午前11時30分に翻訳作業が終了した。松山高吉(日本人助手の一人)は、ヨハネ黙示録の最後の節を読み上げる光栄を得た。その後、グリーン博士、ヘボン博士ら委員会(翻訳社中)の長老たちの勧めで、松山は、祈りを導いた。「全能の神よ。心からの感謝をあなたに捧げます。」

  これは、多分、横浜のブラウン博士宅で行われたのかもしれない。(注 しかし、その日、ブラウン博士は不在であったことがわかっているので、もう少し確かめなければなりません。)今年の12月2日は、その日から数えて、ちょうど120年目に当たります。

  聖書の翻訳は、どの言語においても同様ですが、まず、多くの場合、その言語による最初の出版になる場合が多いのです。我が国の場合は、出版については違いますが、宣教の進展が始まったこと、そしてその後、聖書が、日本文化にいろいろ影響を与えたとすれば、そのことの始まりの時として、記憶に留め、皆で感謝をしたい日であろうと思います。


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