聖書周辺の旅-蒋介石総統と聖書-

 日本の敗戦が鮮明になった1945年8月15日、当時日本と直接交戦中 だった中華民国の蒋介石総統が。全中国国民と世界に向けて、ラジオ放送を行った。当日、日本時間の正午に放送された、日本国天皇の「終戦を告げる、終戦の詔勅」の放送に先立つこと1時間、日本時間の午前11時、重慶から行われたラジオ放送である。 

 「告文」と呼ばれるこの放送には、戦後の日本について、重要なことが述べられている。その一部をご紹介しよう。

* 告文 *

  「全中国の軍官民諸君、並びに全世界平和愛好の諸士。われらの対日戦は本日ここに勝利を得た。…殊に被占領地区の同胞は、限りなき虐待と奴隷的屈辱をなめつくした。もし今次の戦争が、人類最後の戦争となるならば、たとえ形容不能の残虐と屈辱を受けたとはいえ、けしてその賠償や戦果は問うまい。…わが中国の同胞よ、既往をとがめず、徳をもって恨みに報いることこそ、

 中国文化の最も貴重な伝統精神であると肝に銘じて欲しい。…けして報復したり、さらに敵国の無辜の人民に対して、侮辱を加えてはならない。…もし暴行をもって敵の過去の暴行に応え、奴隷的侮辱をもって、誤まれる優越感に報いるなら、怨みはさらに怨みを呼び、永遠に止まる所がない。これはけしてわが正義の師の目的ではなく、わが中国の一人一人が、今日特に留意すべきところである。…ここで余は、まず、最も困難な任務を申し渡したい。…公平正義の競争が、彼らの武力略奪や独裁恐怖の競争より、真理と人道の要請にかなっていることで、これこそわが連合国に託された、今後の最も困難な任務である。」



  当時、中国本土に210万人いたと言われる日本人や日本兵が無事に帰国できたのも、また賠償放棄により、戦後の復興がかなったのも、 この「告文」に負うところが大きいと言えるのではないでしょうか。 実は、蒋総統は、抗日戦の多忙の中、1944(昭和19)年10月から 46年にかけて、新約聖書の翻訳を手掛けていたのです。カトリックの 信者であり、中華民国憲法の起案者である呉経熊が、新約聖書と詩編を、 ラテン語ウルガタから翻訳し、手書きの墨字で丁寧な原稿を作り、それを 1944(昭和19)年10月31日、重慶にいる蒋介石総統に捧げました。 読んでもらうことと、訂正の赤を入れてもらうためです。総統は、戦争の 最中であるにも関わらず、訂正をしたらよいと思われるところを朱文字で、 丁寧に書き込みをしています。しかも、2年の間に3回も繰り返し読み、 読み終わると、その日付を書き、中正と署名しているのです。  その蒋介石総統の朱文字が入った新約聖書と詩編の翻訳原稿が、蒋総統 の生誕100年を記念して、台湾の教会を中心に、復刻されました。

 蒋介石の軍隊は、共産軍に追われ、台湾に渡りましたが、そこで地域住民を虐殺したりして228事件を引き起こしてしまいました。

 長い間、台湾の教会との間もうまくいかなかったのですが、台湾の教会も、蒋介石のこのような働きの成果を復刻したように、和解が進んできたようです。

  この復刻版の聖書が、日本聖書協会に台湾の教会から贈られ、銀座聖書館 ビルの聖書図書館に納められています。 わたしは、これを見た時、息をのみました。放送された「告文」には、至るところに聖書が引用されていますが、蒋介石総統は、聖書を読むどころか、聖書の翻訳をも手掛けていたのです。日本との戦争のさなかに、 いわば戦争の最高指導者という超多忙の中で、翻訳原稿に手をいれるという、 困難で、精神の集中が必要なこのようなことを為していたのです。我が国は、聖書の翻訳によって救われました。戦後の復興も、そして何よりも平和も、この蒋介石総統の聖書翻訳が、陰の力であったことは 確かなようです。

 この新約聖書は、「新約全書」と言われ、1949年8月ホンコンの出版社、公教真理学会から出版されました。


次回更新は、「宇都宮のエラスムス像」を予定しています。更新も技術的に未熟で、うまくいくかどうか、しばらく見守ってくださるとありがたいと思います。


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