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Brief Histry,Concerning "The Bible"
和訳史のエピソード その37
三吉と聖書の翻訳 三吉の漂流
日本聖書協会 前総主事 佐藤邦宏
幕末から、明治の初期にかけて、聖書が、日本語に翻訳された足跡を、エピソードとトピックスでたどってみようと思います。ぜひ、聖書のびっくり歴史をお楽しみください。
まず、難しいことから。聖書の翻訳と言う場合、それは聖書の一部を翻訳して、祈祷書などに引用したようなことではなく、少なくとも聖書の1書まるごと、例えば、マタイ福音書を、始めから終わりまで、途中省略することなく日本語にするというような場合だけが、「翻訳」と言います。フランシスコ ザビエルが1549年7月、鹿児島へ上陸した時、マタイ福音書を持参したとも言われていますが、実物が確認されていませんし、それが、福音書丸ごとであるか、祈祷書に一部引用したものであるかどうか、分かりませんので、果たして「翻訳された聖書」があったのかどうか分からないというのが、答えです。
それで、現存する最古の日本語聖書は、漂流した船員の物語から始まります。ギュツラフが、尾張の漂流船員、岩吉、久吉、音吉(あるいは乙吉の説もある)、これを三吉と言いますが、マカオで彼らの助けを借りて翻訳した「ヨハネ福音書」と「ヨハネの三つの書簡」が、「現存する最古の日本語聖書」ということになります。前者は、世界に16冊存在していて、日本聖書協会の図書館にも保存されています。
三吉は、現、愛知県知多郡美浜町小野浦の出身です。1832年(天保3年)10月11日(現代暦)、尾張米を江戸へ運ぶため、小野浦の樋口重右衛門氏所有の「宝順丸」という千石船で、鳥羽を出帆しました。千石船は、150トンほどの荷物を積める、長さ15メートルくらいの木造船です。乗組員は14人、音吉、久吉は、今で言えば中学生ほどの年齢で、見習い船員です。この船が、鳥羽を出航するとすぐ消息を絶ってしまいました。探す手だてもなく、遭難したと諦めて、小野浦の良参寺に、故郷の人々はお墓を建て、乗組員の霊を慰めました。この物語は、作家の三浦綾子さんが、「海嶺」という小説にお書きになっていますので、漂流の物語は、そちらに譲らせていただきます。
現在の美浜町は、この出来事を熱心に解明し、追跡しておられ、町長さんを先頭に、宝順丸が、14ヶ月後に漂着した場所を発見し、特定することに成功されました。この広い地球上の、まさにピンポイントの地点を特定されたのです。漂流から、160年ほど経った1996(平成8)年4月のことです。
それは、北米の、アメリカとカナダの国境の近くにあるケープアラバという場所です。この辺りは、マカ族というアメリカ原住民族の居住区で、町長さんや、町民の皆さんもそこまで行かれ、漂着した場所が特定できたそうです。これは、著作権の関係で、この画面でお見せできませんが、もしお手にすることができるのであれば、アメリカのNational Geo-Graphic Magazine1991年10月号 Vol.180 No.4 42,43ページの絵をご覧ください。中央にケープアラバが、手前に突き出ていて、両側に砂浜が広がっていますが、その向かって左手の砂浜、鯨を解体している様子が見えますが、その辺りに漂着したらしいのです。14人の乗組員の内、生き残ったのは三吉たち3人だけでした。
町長さんは、マカ族が拾い集めた陶器の破片が、マカ・インデアン博物館に展示してあるのを発見され、頼み込んで借り受け、愛知県瀬戸の陶磁器の研究所に鑑定を依頼されたところ、19世紀初頭、瀬戸で焼かれた食器であることが分かり、他の漂流船もないことから、宝順丸に積まれていた食器にほぼ間違いないと確信されたそうです。
その後、三吉が、マカオでギュツラフに出会い、はからずしも聖書の和訳に協力することになるのですが、それは次回にお話しいたしましょう。
兵庫県のボーイスカウト連盟は、ワシントン州 フォートバンクーバー国立史跡公園に「三吉記念碑」を、1989年に建立されました。それは、15,16才の、いわゆる少年久吉、音吉が、14ヶ月の漂流にも耐え抜いたことが、人々に感動と勇気を与えるものであることを、若い方々に伝えたいとの願いからで、彼らを顕彰するためです。
美浜町は、最も若い音吉の名をかりて、「ニッポン 音吉 トライアスロン」を、毎年開催しておられます。今年は、以下の日程で開催されるそうです。
「第9回 にっぽん音吉 トライアスロン in 知多美浜」8月20日(日)開催です。
お問い合わせは、
美浜町 経済部商工観光課 電話 0569―82―1111 へどうぞ。
また、「ミュージカル にっぽん音吉物語」など、音吉が生前活動した場所である、名古屋市、シンガポール、シアトルなどで上演された実績も持っておられます。
さらに、美浜町野間にある旅館「山本屋」さんは、音吉の妹のご子孫が経営しておられ、三浦綾子さんが取材に来泊されたことを記念して、音吉の資料展示も旅館のロビーでなさっています。
お問い合わせは、 0569−87−0035 へどうぞ。
美浜町と日本聖書協会は、三吉が聖書の和訳に、はからずしも貢献したことを偲んで、毎年10月11日に美浜町小野浦の「岩吉、久吉、音吉 頌徳記念碑」の前で記念会を交互に主催しています。ぜひ、ご出席ください。(日程は年によって変わることがありますので、日本聖書協会にご確認ください 03−3567−1980)
今回は、このようなことで、三吉、特に「音吉」と共に今も生きておられる皆さんをご紹介いたしました。次回は、その後の三吉の足跡と、ギュッラフとの出会いをご紹介いたします。
ご意見、ご質問をいつでもどうぞ。心から歓迎いたします。
2003 Oct. 25
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